なにがあってもうまくいく(絶対)
先日打ち合わせで、今までで大きなトラブルがあったかどうか、という話題が出ました。
聞かれて、あったっけ。。と考えて、、ありますよありますよ、いろいろありましたよ。
公には言えないようなちょっとやばいこともあったし、別にそんなのトラブルとは言えないのでは、、ということも、当時は大きな問題と深刻に受け止めて眠れなくなったりしてましたね。
ただ、根がのんきなのかあほなのか能天気なのか、時間がたつとほとんど忘れてしまっている。
で、今回聞かれたのが「裁判沙汰ってあった?」ってことだったんですが、ありましたよ~。
その顛末は結果的にかなり笑える話なんですが、あまりにも長くなるので割愛しますが、そこまでもめたおかげで、私のかたい頭がちがちの思い込みが消えて、今に至っているので感謝すべきことでした。
お店を始めたとき、この場でずっとずっと続けていくことに意味がある!と思っていたので、お店を増やしこそすれ一号店を移転するなんて考えもせず、店先には15年以上毎年花を咲かせるモッコウバラが2階に届くくらい成長し(鉢植えだったのにいつの間にか根が突き出てコンクリートに根を張っていた)、これが歴史っていうもんだ、と思い込んでいたのです。
変化を考えられなかったんですね。
でも、結局、ビルのオーナーVS店子3店舗でトラブって裁判沙汰になって、3店舗で一度にそのビルから出たのですが、そこまでのことがなかったら、頑固一徹に小さいエリアで時間に縛られながら、それでも、店は続けなきゃとがんばってたかもしれません。
そのような世界もありだったのでしょうけど、今の私はそうではなくて、状況に合わせて仕事のスタイルを変えていくという選択をしたので、その世界を生きていることになります。
で、結果的に、今、私は変化していくスタイルにかなり満足していて、なので、実店舗時代のみんなで裁判したことも、あれがあったから変化することができたと思ってありがたかったなと思っているのです。
もし私が、裁判なんかしちゃって外聞が悪いし、お店をそこで続けられないなんてなんて不幸なんだ、、あぁかわいそう、わたしって、、、なんて考え続けていたら、今頃かなり人相の悪いBBAになっていたと思います。
すべて、自分の身に起こることというのは、その時に経験すべきことが具現化しているのかもしれない。
それを嫌でも受け止めて、クリアしたら忘れてしまうこともできるけど、いつまでも根にもって恨んでいると、文句たれの、なりたくない自分になってしまうんでしょうね。
要するに、起こったことをどうとらえるか、どう考えるか、どうするか、で未来は変わっていくってことかな。
その裁判は結局負けたんですが、わずかなお金で今の自由があると思うと、裁判沙汰にしてくれてありがとう~!というのが今の本音です(負け惜しみは一切ないですよ^^だって勝った方のオーナーのほうが陰気な顔になってるし)。
あと、その時は3店舗とも真剣だったので真面目に考えてましたが、その時のことを今でも会うたびにかなり笑い話というか、ネタになっていて共通の思い出があるってサイコーみたいな感じもちょっと気に入ってる。
ひとつ思い出すと芋づる式にあれもこれもと思い出すけど、どれもこれも過ぎてしまえば経験させてくれてありがとうという言葉しかない。
そう考えることができるってある意味無敵。
だから、絶対何があってもうまくいくしかない!と思い込む力ってとにかく無敵。