2016/05/190 Shares

尊敬はするほうもされるほうも冷静に~崇拝はちょっとちがうかも~

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尊敬する人がいることってとてもすばらしいと思う。
でも、何かのきっかけで尊敬できない気持ちになることがある。
でも、別にその方の尊敬できる部分がなくなったわけではない。

にゃんだかややこしく書いてますが、
要するに、誰かを尊敬したりすばらしいと思ったりするのは
しっかりと自分の価値観を把握していないと
危険なこともあると思うんです。

というのは、どんなに能力が高く、人間性にもすばらしく、
この上なく素敵な方だと思う人がいたとしても
一人の人間である限り、その反面だってあるし、
もっと何面だってあるし、すばらしいと思っている部分は
まさにほんの一部分だってこと。

そして、その、ほんの一部分に触れて、リスペクトする気持ちが
わいてくるというのは、とてもいいことだと。

だけど、だからといって、その相手のすべてがリスペクトできると
思い込んでしまって、崇拝してしまって、神格化するまでに
なってしまうと、もうそれはただの新興宗教とおなじですね。

最近周りがそんなこんなで騒々しい。

で、思ったのは、「裏切られた」とか「そんなはずじゃなかった」とか
「もっとすばらしい人かと思った」とかって言うのは
甘えてるんじゃないか?

完璧に自分の思うとおりの立派な人なんて存在しないです。
どんなにすばらしいい方でも、他人の主観で見られる限り
どんなときも期待を裏切らないなんてことありえません。

だから、誰かを尊敬して、すばらしいと思っても
自分にとってどの部分がそう思えるのかということを
冷静に客観的に理解していないといけないってこと。

じゃないと、尊敬するほうはどんどんイメージを膨らませていく。
それって、単なる甘えというか楽ちんなほうにいってるだけなんですけどね。

尊敬されるほうも、自分の価値観がしっかりできていないと
尊敬してくれる相手の期待を裏切ってはいけないと、
無理をしてしまったり、虚勢を張ってみたり、うそをついてみたり、、
なんてこともあるかもしれない。

今はよくわからないけど、昔のアイドルとかってそうでしたよね。
ファンの期待を裏切らないように無理を重ねて自爆する人も
いました。

まとめ。

誰かを尊敬するのは、その部分だけということを踏まえておこう。
すべてまるごと尊敬するならば、マイナス部分も受け入れる覚悟がないと
被害者意識を感じてしまうので要注意~^^

 

 

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