勝敗は受け止める*次のステップにいくために
人生勝ち負けではないといいますが、確かにそうだと思います。
勝敗は人が決めるものではなく、自分の心が感じるものであるから。
しかし、生きていれば何かしら勝敗を決めるべきタイミングって誰でもあって、もし負けたと感じたとき、その負けを受け止められるかどうかってものすごく大切だと思う。
個人的には勝ったときよりも大事なことだと思います。
なぜなら、負けを受け止める、負けを自覚する、負けを受け入れることによってのみ、次のステージに行くことができるからです。
ここを勘違いして、もっとやればできたのに、とか、運が悪かったから、とか、今はまだその時期ではないから、とか、なにかしら負けたことを正当化する言い訳をしてしまうとかなりやばいです。
力いっぱい全力を出し切っていれば自分の限界ってわかります。
なので負けを認めることができる。
負けを認めるって確かに悔しいし、もっとやればできるのか?と思わないこともないけど、全力でやってダメなんだったらやっぱり向いてないのか、その世界は合っていないのか、そもそもそれを目指したことが間違いだったのか、まあ、とにかくそこではなかったということです。
第三者的に見たら些細なことでも自分にとってはものすごく大きな挑戦だったりするわけで、でもやらなかったらわからないことってたくさんあって、やってみてはじめて、ああ、これじゃなかったな、と納得できる。
わたしの場合でいえば、店を始めてしばらくは、イメージとして会社を大きくしてスタッフをたくさん雇って雇用に貢献し、地域社会にも寄与していくという理想がありましたが、店舗を増やし、スタッフを雇い、商工会にも参加して、いろいろやってはみましたが結局全部向いていなかったですね。
そのステージは私が輝くことのできる場所ではなかったし、挑んでも蹴散らされたというか、世界観が違うということがそこから身を引いてはじめて理解できました。
世間的な一般価値観では、規模が大きいほど、雇用が多いほど、売り上げが多いほど勝ってるとみなされてたので勝つためにはそこをがんばらなければ~と思ってたんです。
でも無理ってことがわかったし、楽しいとも思えなかったし、小さくても別にいいと思えばいいだけのことに気づけたし、やはり世間的な価値観の中に飛び込んでみるというのも悪くない、というか、そこの世界での勝敗は明らかに負けたなと。
でも、そのおかげでそこじゃないということが分かって、一人でやるということに何の不便も抵抗も不安もなくなったので結果オーライです。
そう、結果オーライという着地点に到着するのに必要なのは、ダメだった、そこでは完敗、世界が違った、というある意味の敗北感を受け入れることでした。
もしわたしがいつまでも敗北感を受け入れられなかったら、いまでも感覚の違う人たちと無理して合わせながら、ストレスを感じつつ無駄だと思うようなイベントを手伝ったり、わけのわからない会議に出たりしていい人を演じていたかもしれません。
そう思うと負けることは悪いことではないです。
全部負けたんじゃなくて、あくまでもその時点で、その世界で、その人たちの中での勝敗ですから、そのステージで勝負しなければいいだけのことだから、解決法は確立されてます。
それは「負けを認めて次のステージへ行く」。
カンタンですね^^